私の生まれは北海道雨竜郡秩父別町と言う小さな町で、深川市の隣になります。家は稲作中心の農業を営んでおりました。深川市周辺の北空知地方は北海道の中でも米どころとして知られており、稲作が大変盛んな土地柄です。私の周りの家は皆、農家で、スーツを着ているのは学校の先生か役場で働いている人ぐらいで、隣の家までが800メートルぐらいあるような場所でした。
農業というと、ほのぼの、のんびりというイメージがあるかもしれませんが、決してそんなことはなくて、とっても厳しい環境でした。深川市周辺は年に数回−25度を記録することもあるぐらい寒く、ひな鳥が巣から寒さでおっこってくるようなところでした。
農繁期は毎朝6:00から仕事を始め、終わるのは夜の10:00、11:00でした。父は朝の3:00までトラクターを運転していることもありました。それでも、家は貧しかったです。小学校に入ったときに、オルガンを習いたくて、「オルガンを買ってー」とお願いしても、買ってもらえるはずもありませんでした。しかも、農家ですから、おじいちゃん・おばあちゃん、父・母、私と弟の6人で生活していました。農家の厳しい労働、厳しい経済状況もあって、家庭の中はいつもぴりぴりした雰囲気でした。
そんな中で、父の弟に当たる私の叔父は札幌の西区で整形外科医院を開業していますが、私がそんなぴりぴりした家庭で育っている頃に、家に来るたびに当時はご馳走のケーキを持ってくるものですから、そんな子供にとってなれるものならなりたい存在でした。でも、それはプロ野球選手になりたいというぐらいの夢でしかありませんでした。それは「そんなもの、なれるわけがない」と思っている程度でした。
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私が3歳の時の写真。
左が私、右が弟

5歳の時、田んぼの堆肥出しを手伝っているところ。馬の手綱を引いてるのが私。

小学校3年生のお正月に初めての車、日産ブルーバードで初詣に行くところ。左が祖父母。一番右が私。私の左が弟。

小学校6年生の時。これからお祭りで鼓笛隊の指揮を取る前に撮った写真。
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